2013.06.14
ちゃた、虹の橋へ
あの日から1週間・・・
ちょうど7日前の6/7、ちゃたは虹の橋へ旅立ちました。
最後までがんばってがんばってがんばって・・・
3月中旬に腫瘍が見つかり、
進行が早くて、当初はもって1ヶ月くらいと言われていたのに
3ヶ月近くもがんばってくれました。
小さい身体で本当にがんばりやさんだった。
最初の頃はまだ元気があって
放鳥もできたし、しゃべったり唄ったりしていたけれど、
だんだんと少しずつ・・・しんどそうになってきて。
飛ぶと体力が消耗するので、カゴから出すこともできなくなり・・・
飛びたいだろうに・・・ 可哀想でした。
酸素濃縮器で呼吸を助け、
日に4度のゆで卵入りフォーミュラごはんと、
おやつには大好きなミニトマトやバナナ、オレンジ、
オーツ麦などがんばって食べてくれて・・・
調子のいいときは、ヒーターのコードに登ったり、
可愛い声でヨーチャン!とごはんを催促したりもしてくれた。
前は絶対にさせてくれなかったカキカキをねだるようになった。
毎日毎日、話しかけて、唄を唄って、カキカキして
のこぎりを聴かせて、
寝るときもカゴの前で・・・
ずーっと一緒に過ごした。
最後の日。
フォーミュラは、あまり食べられなくなっていたけど
ミニトマトやバナナはひとくち、ふたくち・・・
オーツ麦は自分から食べていました。
最後まで生きようとしていたのだと思います。
でも足に力が入らないようで
身体を起こそうとするのだけど、すぐにぺたんとなってしまい・・・
私を見て、カゴから出たがったので、
手に抱き取って
いっぱいちゅーをして
大好きだよありがとうありがとうと何度も話しかけた。
ちゃたは少し羽ばたいて、
しばらくしてから
背中をちょっとのけぞるようにして
手の中で、私を見つめながら旅立ちました。
最後まで目を開けたまま。
なので、その瞬間は分からなかった。
話しかけ続けて、呼んでも反応がなくて
あ、と思ったときにはもう・・・ 飛び立ったあとでした。
表情は、なんだか笑っているようにも見えました・・・
まだ、たった5歳半。
うちにきてすぐ、PBFDとメガバクとジアルジアが見つかって
闘病生活がんばって克服して。
その後は元気いっぱいで、毎日うるさいくらいにおしゃべりしてたちゃた。
朝起きたときからパワー全開、
夜寝るまで、常にハイテンションなちゃたでした。
ニンゲン大好きで、おしゃべり上手で
白くてふわふわであったかいいちゃた・・・
ベビーフェイスで
いつまでも赤ちゃんみたいに可愛かったちゃた・・・
精一杯、駆け抜けた5年半でした。
今回、急激に病気が進行したのは
私の入院のためにちゃたを知らない場所に預けてしまった
そのストレスによるものが大きかったと思います。
入院前の検査では異常なしだったのに、
退院後にはもうかなり大きくなっていたのだから・・・
そのときは仕方なかったとはいえ、
ちゃたの気持ちを思うと、本当に悔やまれる。
そして、腹水が溜まりづらいタイプの腫瘍で
一度抜水して効果がほとんど見られなかったこと、
呼吸や心拍の状態が良くなく移動が心配だったことから、
最後の1ヶ月は病院に連れて行くことはせず、お薬だけをあげていたのだけど
もしももう一度診てもらって、抜水を試みていたら
もしかして身体が少し楽になったかも?
もう少し長く一緒にいられたのかも・・・
と、後悔は尽きません。
今さら何を言ってもしょうがないことだけれど。
寂しい思いをさせてごめんね。
助けてあげられなくてごめんね。
守ってあげられなくてごめん。
もっともっと一緒にいたかったよ・・・
ちゃたはいつも本当に元気で、楽しいことが大好きなコで
私をいっつも笑顔にしてくれたから、
いつまでも泣いていちゃダメだって思う。
今はまだ、涙が出てしまうけど・・・
ちゃたがくれた楽しい時間を忘れないよ。
うちにきてくれて、私と一緒にいてくれて、ありがとう。
ちゃたと過ごした日々は本当に
楽しくて幸せで、あっという間だったよ。
たまには遊びに来て、またおしゃべり聞かせてね。
ちゃた、ダイシュキだよ!
わたしのかわいいめんこちゃん・・・
また会える日まで
りっく兄ちゃんたちと、仲良くね・・・













ちゃたのことを応援してくださったみなさま
お悔やみくださったみなさま
どうもありがとうございました。

ちょうど7日前の6/7、ちゃたは虹の橋へ旅立ちました。
最後までがんばってがんばってがんばって・・・
3月中旬に腫瘍が見つかり、
進行が早くて、当初はもって1ヶ月くらいと言われていたのに
3ヶ月近くもがんばってくれました。
小さい身体で本当にがんばりやさんだった。
最初の頃はまだ元気があって
放鳥もできたし、しゃべったり唄ったりしていたけれど、
だんだんと少しずつ・・・しんどそうになってきて。
飛ぶと体力が消耗するので、カゴから出すこともできなくなり・・・
飛びたいだろうに・・・ 可哀想でした。
酸素濃縮器で呼吸を助け、
日に4度のゆで卵入りフォーミュラごはんと、
おやつには大好きなミニトマトやバナナ、オレンジ、
オーツ麦などがんばって食べてくれて・・・
調子のいいときは、ヒーターのコードに登ったり、
可愛い声でヨーチャン!とごはんを催促したりもしてくれた。
前は絶対にさせてくれなかったカキカキをねだるようになった。
毎日毎日、話しかけて、唄を唄って、カキカキして
のこぎりを聴かせて、
寝るときもカゴの前で・・・
ずーっと一緒に過ごした。
最後の日。
フォーミュラは、あまり食べられなくなっていたけど
ミニトマトやバナナはひとくち、ふたくち・・・
オーツ麦は自分から食べていました。
最後まで生きようとしていたのだと思います。
でも足に力が入らないようで
身体を起こそうとするのだけど、すぐにぺたんとなってしまい・・・
私を見て、カゴから出たがったので、
手に抱き取って
いっぱいちゅーをして
大好きだよありがとうありがとうと何度も話しかけた。
ちゃたは少し羽ばたいて、
しばらくしてから
背中をちょっとのけぞるようにして
手の中で、私を見つめながら旅立ちました。
最後まで目を開けたまま。
なので、その瞬間は分からなかった。
話しかけ続けて、呼んでも反応がなくて
あ、と思ったときにはもう・・・ 飛び立ったあとでした。
表情は、なんだか笑っているようにも見えました・・・
まだ、たった5歳半。
うちにきてすぐ、PBFDとメガバクとジアルジアが見つかって
闘病生活がんばって克服して。
その後は元気いっぱいで、毎日うるさいくらいにおしゃべりしてたちゃた。
朝起きたときからパワー全開、
夜寝るまで、常にハイテンションなちゃたでした。
ニンゲン大好きで、おしゃべり上手で
白くてふわふわであったかいいちゃた・・・
ベビーフェイスで
いつまでも赤ちゃんみたいに可愛かったちゃた・・・
精一杯、駆け抜けた5年半でした。
今回、急激に病気が進行したのは
私の入院のためにちゃたを知らない場所に預けてしまった
そのストレスによるものが大きかったと思います。
入院前の検査では異常なしだったのに、
退院後にはもうかなり大きくなっていたのだから・・・
そのときは仕方なかったとはいえ、
ちゃたの気持ちを思うと、本当に悔やまれる。
そして、腹水が溜まりづらいタイプの腫瘍で
一度抜水して効果がほとんど見られなかったこと、
呼吸や心拍の状態が良くなく移動が心配だったことから、
最後の1ヶ月は病院に連れて行くことはせず、お薬だけをあげていたのだけど
もしももう一度診てもらって、抜水を試みていたら
もしかして身体が少し楽になったかも?
もう少し長く一緒にいられたのかも・・・
と、後悔は尽きません。
今さら何を言ってもしょうがないことだけれど。
寂しい思いをさせてごめんね。
助けてあげられなくてごめんね。
守ってあげられなくてごめん。
もっともっと一緒にいたかったよ・・・
ちゃたはいつも本当に元気で、楽しいことが大好きなコで
私をいっつも笑顔にしてくれたから、
いつまでも泣いていちゃダメだって思う。
今はまだ、涙が出てしまうけど・・・
ちゃたがくれた楽しい時間を忘れないよ。
うちにきてくれて、私と一緒にいてくれて、ありがとう。
ちゃたと過ごした日々は本当に
楽しくて幸せで、あっという間だったよ。
たまには遊びに来て、またおしゃべり聞かせてね。
ちゃた、ダイシュキだよ!
わたしのかわいいめんこちゃん・・・
また会える日まで
りっく兄ちゃんたちと、仲良くね・・・













ちゃたのことを応援してくださったみなさま
お悔やみくださったみなさま
どうもありがとうございました。

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41歳のお父さん 様へ
その節はお悔やみコメントをありがとうございました。
すっかりお返事が遅くなってしまってすみません…
まだまだ寂しいけれど、ちゃたは今はもう苦しくないし
虹の橋でみんなと楽しく過ごしてるだろうから、
またいつか会える日まで私もがんばろうと思ってます。
きっと、ちーちゃんとも仲良くやってることでしょうね^^
すっかりお返事が遅くなってしまってすみません…
まだまだ寂しいけれど、ちゃたは今はもう苦しくないし
虹の橋でみんなと楽しく過ごしてるだろうから、
またいつか会える日まで私もがんばろうと思ってます。
きっと、ちーちゃんとも仲良くやってることでしょうね^^